古代会津王国という妄想

最近、日本の古代の道路に関する本を読んでいます。

古代の日本には、今で言う所の、新幹線や高速道路のような、各都市を結ぶ道路網が整備されていたようです。

著者の近江氏は宮城県出身

古代の研究などの本を読むとき、その研究者がどこ出身かというのは重要です。

1000年の長きに渡り、未開の地として虐げられてきた東北ですから、東北を知らない研究者から見たら、現代の東北も、1000年の未開の土地の延長としてのイメージを消し去ることはできないでしょう。

しかし、私や近江氏のように、東北出身の人間には、外から与えられたイメージより先に、与えられたイメージとはまた違う真実が見えているのです。

なので、日本史を本を読む上で、著者が、日本のどこで、どのように育ったのか、というのは、本を選ぶ基準として、私にとっては重要です。

福島県の特殊さについて触れられている

もし、これが、西日本出身の著者による本だったとしたら、当然、出雲や九州についての考察が増えることでしょうし、福島県などというのは、そもそもの対象外の未開の土地としてのイメージがぬぐいきれないことでしょう。

しかし、この本の著者は、福島県のお隣、宮城県出身なのです。

なので、福島県が、浜通り、中通り、会津に分かれていて、文化が違うことや、各地にどういう道路があって、どういう地域と交流があったか、詳しく書いてあります。

有名な高僧である、最澄終生のライバル、徳一についても書いてあります。

徳一は会津を本拠地としたお坊さんで、最澄や、あの空海とも交流があったお坊さんで、福島県にたくさんのお寺を作った人です。

会津には、最澄と張り合えるほどの高僧がいて、会津に通じる街道が各地から伸びているなど、栄えていたのであろう、物的証拠がたくさんあるのです。

古代道路は会津を通っていなくて、古代道路空白地帯になっているのですが、あえてそれを作らなくても、それ以前から交通網が整備されており、必要なかったとも考えられます。

そして、本の中に、「会津王国というような地域社会があったということを主張したいのではない。」という一文があります。

あえて否定して見せたくなるほどに、道路だったり、古墳からの出土物が、会津王国の可能性を物語っているのですよね。

浜通りに徳一のお寺が一番多いけど、原発のある地域は、徳一空白地帯である

道路の話ではなく、お寺の話になってくるのですが、会津を拠点とした徳一が、一番多く、お寺を立てたのは、会津ではなく浜通りです。

浜通りに、徳一が開祖のお寺が密集しています。なのですが、不思議と、今、原発がある地域には、徳一は、お寺を立てていないのですよね。

これが、私がこの本を読んで、興味深いと思った場所の一つです。

原発というのは、古代の聖地に立てられるもののようなので、双葉郡が、呪われた地域だから徳一がお寺を立てなかったということはないと思います。

むしろ、おそらく、逆なのだと思いますが、この不思議な一致はなんなのか、これから調べたいです。この本にはそこまでは書いてありませんでした。

現代の会津人の感覚

私は、18才まで会津に生まれ育ち、その後4年間福島市に住んで、以降はずっと東京です。

会津を離れてから、ほどんど、会津と関わることがないまま月日が経ち、去年から、再び、会津の人との交流が始まりました。

その中で感じるのが、イメージと違う、ということです。

もはや、東京の人間として、会津や福島県を見ていた私は、会津とは、白虎隊だったり、八重の桜の八重だったり、どこか不器用で、融通が利かない残念な人たちなのかという印象を持つようになっていました。

でも、実際に行ってみると、そうではないんですよね。

もし、古代に会津王国があったのだとしたら、会津の人の気質って、説明がつくのかもしれないような気がしています。

この記事を書いた人

古川 恵子

都内でワードプレスのレッスンを行なっております。
2017年前半は約50名にマンツーマンレッスンをさせていただきました。

ワード、エクセルが使えるレベルの方から、本格的なカスタマイズに挑戦したい方までご利用いただいております。

福島県でのレッスンも開催中です。