会津人とは、少数民族ではなく、ニューヨーカーのような集団だと思う話

私は福島県会津地方出身です。18才まで会津で過ごし、その後4年間、福島市に住んだ後、東京に来ました。

後何年かで、東京が一番長くなります。

そんな私は、会津を出てから、会津出身の人と知り合うこともほとんどなく、いつしか、会津は遠い故郷となっていました。

しかし、去年、ふと、奥会津の会津柳津の花ホテル講演会という勉強会に参加したのをきっかけに、会津との関わりが新たにできて来ました。

その中で、私が、東京の人間として、感じていた、会津へのイメージが、いい意味で、裏切られることが多く、会津とはなんなのだろうと感じるようになっていました。

自分の地元を批判する、外に出た会津人

ネットで、「会津人」を検索すると、会津人の大体のイメージがつかめると思います。

会津人、とい入れた後の予測変換がまたひどいです。「性格悪い」「嫌い」などが出て来ます。

そして、出て来た記事を読むと、本当にどうしようもない、人の足を引っ張って、批判めいたことばかり言う、救いようのない人たちであることがわかることでしょう。

私自身、東京に来てから、「会津人は、東京に来たら、まず、会津人らしさを捨てるべき」と、思って生きてきました。

だから、会津の人間が、自分たちの故郷を、さもロクでもないもののように語るのは、わからなくはないです。

会津の人が会津を批判するのは、地元への誇りと愛情の裏返しではあるのですが・・・。

しかしネットの時代になっても貶められ続ける会津人、存在感はありますね・・・。

流石に地元出身の人じゃないと思うのですが、誰がそこまで会津を嫌ってるんでしょうか・・・。

司馬遼太郎が見た会津

戊辰戦争で負けて、賊軍となった会津を肯定的に語ってくれる著名人といえば、司馬遼太郎がいます。

彼はとにかく会津が好きなようで、会津藩を度々絶賛しています。

そうすることで、今後は、会津藩のお侍さんがすごかった、と言う印象がついてくるのですが、戊辰戦争以降、会津藩のえらいお侍さんたちは、他の藩に移っているのですよね。

会津の凄さは、お侍さんの凄さだけではないのです。むしろ、本質はそこじゃないはずです。

そうでなければ、現代の会津人の気質の説明がつきません。

私自身、武家とは全く関わりのない、かつては商業で栄えた町の出身です。

母も祖母もそう祖母も、自転車で気軽にいける距離の、似たような地域から嫁に入っていますが、そんなルーツを持つ私でも、強烈に会津人と言う意識を持って生きています。

原宿のおしゃれミニシアターで行われた、西会津のイベントに参加して驚いた話

少し前に、会津の中でも、新潟寄りの位置にある、「西会津」のイベントに参加しました。

その後の懇親会にも出て、役場の方達ともお話させていただいたのですが、あまりの柔軟性にびっくりしました。

ここ数年で一番の衝撃といってもいいぐらいでした。なんだこの人たちは!なんて素晴らしいんだろう!と、思いました。

そういう人たちがいる場所なので、東京で成功した有名なミュージシャンの方も、移住を検討しているようですし、そのほかにも、移住者が何人かいらして、その移住者のレベルがまた、すごいです。

海外で大きな仕事をするようなエリートとか、ニューヨークから来たアーティストとか・・・。

西会津には、世の中のいいものをたくさんみている、エリートだったり、成功者だったりという人たちのニーズを満たせる何かがあるのですよね。

それはあるよ、あるある、と、町役場の、西会津ネイティブの方達とお話することで感じたのでした。

しかし、なんでそれがあるのか?

まずは歴史を調べよう

というわけで、歴史の本をいくつか読みました。

司馬遼太郎に言わせると、会津は北陸なんだそうです。「東北です。」と、私は思いますが、確かに、会津と新潟をつなぐルートがあって、実際に、人や物の往来があったようです。

北陸から繋がる川があるので、かつて商業で栄えた、私の実家付近の、雰囲気を知っている、私の父は、得意げに、会津の文化は、北前船で繋がっているから、東京を通さず、直接、京都からの文化なんだ。というようなことを言う事があります。

実際、私が子供の頃も、近所に、元芸者だと言う女性が、私が知っている限りで二人は、住んでいましたし、近くの家は芸者の置屋だったなんて話も聞いていました。

私が子供の頃は、まだ、料亭も残っていました。

会津というと、会津若松、次に喜多方、と言うイメージですが、それ以外にも栄えた場所があったのですよね。おそらく一箇所だけでなく。

とにかく、そう言うわけで、色々調べると、日本の中でも大きい、古代豪族の屋敷跡があったり、古墳もたくさんありますし、仏教系の国宝や重要文化財、お寺と、調べればたくさん出て来ます。

栄えていた物的証拠がすごくたくさんあるわけですよ。

東北の玄関口で、北陸とも繋がっている会津地方

日本には、かつて2つの国があったとも言われます。

そして、日本という国ができるまで、2世紀ぐらいの記録が残っていないのですよね。歴史の空白があるわけです。

歴史の闇に葬り去られた事実はきっと、思っているより多いと思います。

ところで、会津は、戊辰戦争でもやられていますが、天下の覇者である豊臣秀吉も、会津まで来ているのですよね。

徳川家康も会津にせめていて、なんとこれが、関ヶ原の戦いの幕開けになったそうです。今知ってびっくりです。

とにかく、江戸時代の幕が開ける直前に、天下の覇者たちは、会津を攻めていると言う事です。

江戸時代の幕開け、近代日本の幕開け、時代は変わっても、2つの時代が始まるタイミングで、会津は攻撃されているわけですが、そこまでしなければ行けなかった理由は何でしょうね。

移民や新しい文化を柔軟に受け入れ融合するとことで栄えて来た会津

典型的な会津人というと、精神的な面では語られますが、会津人の顔を想像できるでしょうか?

九州だったら、西郷隆盛をまずは思い浮かべますよね。

しかし、典型的な会津の顔、と言うのは、地元で育った私が考える限り、ないような気がします。

いろんな個性があって、割とみんな個性的なのですが、いろんな方向に個性的だったような気がします。

それだけ、いろんなルーツを持った人たちがいるということなんだと思います。

歴史的に見ると、何度も移住者が入って来ているようですし、東北の玄関口なので、人の交流は多かったはずですよね。

それこそ、北陸から北前船も来ていましたし。

最近、山形に、北朝鮮の船が漂着してニュースになりましたが、そういうことは、昔からあったのでしょうし、外国人も多く入っていたのではないでしょうか。

私自身、東京にきた頃は、よく九州出身なのかと聞かれたものですし、私は南方系なのですが、ヨーロッパとのハーフといっても通用しそうな人も少なくない気がします。

会津人とは、少数民族ではなく、ニューヨーカーのような集団

血統的に正しい会津人、というのは、いなくはないのかもしれませんが、血で語れる集団ではないのだと思います。

むしろ、そこで生活することで繋がっていく、場所を中心とした集団なのではないでしょうか。

だからこそ、外見や家柄でなく、精神面で、会津という土地は語られるのでしょう。

会津人はつまり、ニューヨーカー、そう、グローバル市民なのです。

と、思ったのでした。

自分はどこに所属する人間なのか、そこに誇りが持てれば、人にも自分にも優しく生きられる気がします。

この記事を書いた人

古川 恵子

都内でワードプレスのレッスンを行なっております。
2017年前半は約50名にマンツーマンレッスンをさせていただきました。

ワード、エクセルが使えるレベルの方から、本格的なカスタマイズに挑戦したい方までご利用いただいております。

福島県でのレッスンも開催中です。