11月の会津滞在を終えて

11月後半は、23日に会津に向かい、12月1日にこちらに戻ってくるまで、1週間ほど、会津地方に滞在しました。

たくさんの出会いや再会もあり、充実した時間でした

今回、印象的だったのは、いくつもの、よい出会いに恵まれたことでした。

私の小中学校の同級生との再会や、幼馴染のような、2学年下の弟の友達との再会もありました。

まずはTOMOツアーに参加しました。

その後も、末廣酒造社長の新城猪之吉氏によるトークショーと交流会に参加したり、打ち合わせをしたり、情報発信講座を行ったりと、無駄のない滞在をすることができました。

町おこしのことで思ったこと

まず、私が会津地方で活動している目的は、町おこしです。地元を、若者が残れるところにしたいと思っています。

27日は、会津若松市の末廣酒造の嘉永蔵で行われた、新城猪之吉氏のトークショーに、私の2学年年下の弟と一緒に参加しました。

弟は、喜多方市の交流圏で、家業の4代目の社長として活躍しています。仕事以外の、町のイベントなどにも熱心ですし、喜多方市の交流圏には知り合いも多いです。

しかし、会津若松市の交流圏にはあまり関わりがないとのことで、良い機会だと思ったのか、誘ったら、参加するとのことだったので一緒に参加しました。

まずは若松と喜多方か・・・

地元のとある社長もおっしゃっていたのですが、会津若松市と喜多方市は、敵対しているとまでは言わないまでも、文化が違う、という意識は、あると思います。

お互いに壁がある・・・、と言ってしまっていいのかわかりませんが、ないとは言えないと思います。

観光客から見たら、1日目は会津若松市内で、鶴ヶ城や城下町文化を楽しみ、2日目は、喜多方市のラーメンと蔵と商人文化を楽しむことができれば、移動も楽だし、楽しいのではないでしょうか。

1泊して、2日間、会津を楽しんでもらえば、地元にお金も落ちます。

定宿ができれば、次は三十三観音巡りでもしてみるとか、奥会津まで足を伸ばすなど、さらなる楽しみ方ができますよね。

そのためには、それぞれにバラバラに結果を出してきた、会津若松市と喜多方市が、協力することが、一番早く、大きな効果を出すために大事なことなのではと思いました。

弟たちの意識が変われば地元は変わる

弟は、家業を守るだけでなく、地元の活動にも熱心です。昼は仕事、夜は町の活動と、2人分ぐらい活動していると言ってもいいぐらい、いろいろやっているようです。

彼は、間違いなく、地元を支えている人の一人でしょう。

しかし、同時に、地元の限界を作っている一人でもあるのかな、と、会津若松市でのトークショーで、弟が他の人と話しているのを聞いて、感じました。

ああ、こういう考え方なのか。と。おそらくそれは、弟の仲間たちの間ではスタンダードな考え方なのだろうとも思いました。

弟が、地元を支える一人であるからこそ、そこが変われば、地元は変わるんだろうなと思いました。

意識を変えるにはどうするか

おい、お前間違ってるぞ。

と、私が弟に言ったところで何が変わるでしょうか。

弟が、もし、私の意見を素直に聞き入れたとしても、意識は変わらないことでしょう。

変わるとしたら、自分でそれを選んだ、という意識を持ったときだと思います。

弟たちが、お互いに認めあえる、他所の人たちと一緒に、なにか大きな仕事をしたとしたら。その時は、きっと、弟たちは、彼らの良い面を参考にして、自分たちに取り入れるのではないでしょうか。

逆に、それ以外にないと思います。信頼関係が築けないコンサルタントと仕事をしても変わらないだろうし、新しい意識を取り入れるために東京の交流会に参加しても変わらないと思います。

コンサルタントも東京の交流会も、様々ですし、今の自分、という状態で行くところには、今の自分を大きく超えるなにかはあまりないと、経験的に思います。

じゃあどうすんべか、というのが、私の現時点です。

ブログの最初の画像は会津坂下(ばんげ)町の味噌醤油屋さんです。前回の滞在も、今回の滞在も、会津坂下町に行く機会があったのですが、坂下町って意外と、観光資源の多いところなんじゃないでしょうか。

私の実家の塩川町は、大火事があって、古い町並みが燃えてしまったそうなのですが、坂下は歩いていると、楽しい発見があります。飛露喜の蔵も、坂下の町中の見つけやすいところにあるので、興味がある方はぜひ。

この記事を書いた人

古川 恵子

都内でワードプレスのレッスンを行なっております。
2017年前半は約50名にマンツーマンレッスンをさせていただきました。

ワード、エクセルが使えるレベルの方から、本格的なカスタマイズに挑戦したい方までご利用いただいております。

福島県でのレッスンも開催中です。